オンラインシンポジウム「野生生物保全の30年」ご質問への回答
2022年1月10日にオンラインで開催した「野生生物保全の30年」には、275名の方からお申し込みをいただきました。参加者からのご質問への回答を以下に掲載します。
今回のシンポジウムの登壇者はすべて、当会の研究会の参加者でした。今後も研究会を基盤に提言や普及啓発活動を行ってまいります。
引き続きイベントへのご参加および活動へのご支援をお願いいたします。
コンゴのカフジでゴリラの保護30年を振り返る 山極壽一
(質問1)
私は象牙問題に興味があるのですが、象牙を密猟している人はお金がなく生きるために仕方なくやっているという文を読んだことがあります。そのような人たちが密猟に手を染めずに生きる方法はあるのか、ご意見をお伺いしたく思います。
(回答)
保護区や国立公園で雇いあげて、これまでの経験や森の知識を生かして保全活動やツーリストのガイドになってもらうように働きかけています。コンゴのカフジ・ビエガ国立公園では実際にこれまでの密猟者67人を雇用し、私が参加しているポレポレ基金でも多くの密猟者やその家族を基金の活動に雇用しています。
(質問2)
「ヒト付け」に興味を持ちました。野生性を損なわないような、危害を加えないような、というあたりを想像しつつ、ネット検索で標準的なやり方は見つけて読めるかな、と、思いつつ、山極流を聴きたいと思いました。
(回答)
とにかく辛抱強く後をついて歩き、徐々に接近を図る以外に方法はありませんね。その際は彼ら目線で、どう行動したら受け入れられるかを考える必要があります。ゴリラの場合は、ゴリラのスピード以上に動かないこと、ゴリラの行動を自分もしてみることですね。そうすると彼らの心の中がのぞけるようになります。
(質問3)
コンゴでのゴリラの保護のために行ったこととして、エコツーリズムの推進や地元の子どもへの環境教育ということが挙げられておりましたが、野生生物の保護の方法として私もとても共感しております。
そこで質問ですが、日本国内での野生生物の保護という観点で考えた場合に、”コンゴ”、日本でも特定の種においてそのような活動を行なっていくご計画などありますでしょうか。または、行う場合の課題や注意事項などあればご教示いただけませんでしょうか。
(回答)
私は日本では屋久島で野生ニホンザルの調査をしていたので、今でも現地の自然保護や活用計画には関心があり、時々関わっています。2013年には屋久島学ソサエティが設立され、現地でさまざまな発表や議論ができる仕組みができました。以下のホームページを参照してください。
https://www.facebook.com/yakushimaology/
(いただいたコメントに対して)
ありがとうございました。やはり保全の取り組みは理論優先ではなく、現地の人々の目線でやっていくことが大事ですね。現在私が所属している地球研(総合地球環境学研究所)でも市民の参加を重視する超学際研究を重視しています。各地の文化をつないで科学的な環境倫理に結びつけることで世界的な活動につながると思っています。今後ともよろしくお願いいたします。山極壽一
“小さな池の大きな魚”的な思考・行動様式ゆえの挫折 安倍長期政権の捕鯨外交の評価を試みる 森川 純
(質問)
「安倍捕鯨外交」かあ、なるほど、です。「静かなる多数派」は、世論調査で2択で迫ると、捕鯨賛成に偏るのはなぜなのでしょう。お考えを伺いたく存じます。
(回答)
ご質問ありがとうございます。JWCS30周年シンポに参加して下さり感謝申し上げます。また大事な質問を寄せて下さりありがとうございました。報告時間の関係で触れることができず残念に思っておりましたのでありがたく思いました。
ご質問へのお答えとしてはご存知かもしれませんが例えば以下の平成13年(2001年)12月の内閣府大臣官房政府広報室世論調査担当による「世論調査」なるものをご覧いただければ商業捕鯨再開を目指す政府当局者の政治意思が―認識の誘導・操作的な設問構成・内容さらには我田引水的な評価―に見事に反映されているのではないでしょうか。
この時期は森内閣に続いて小泉内閣でも安倍晋三議員が官房副長官に就任。自民党捕鯨議員連盟メンバーでもある安倍晋三議員の政治的影響力の増大を背景に同議員連盟の「調査捕鯨」後を見据えた”遠洋での母船式商業捕鯨の再開実現を目指す”活動が国内外で活発化する時期に当たっています。
ちなみに安倍ファクターに強く影響された政府の対IWC外交では、国際捕鯨委員会の”原点回帰”と上記の世論調査の設問に象徴される論点からの”持続可能”な母船式商業捕鯨の再開が強く主張されていました。言うまでもありませんが外交交渉では、争点に関する国内世論の支持の有無、程度・広がりが大きな意味を持ちます。例えば、IWCでの日本政府代表団の主張が、日本国内の世論によってデータ的にも支持されている旨を示せれば交渉力を高めることが出来たからです。
問題は、認識誘導・操作による調査結果なるものが、政府・関係省庁の広報・宣伝部局や水産庁の強い影響下にある日本鯨類研究所・共同船舶・日本捕鯨協会等によって国内外に組織・体系的に拡散されてきたことです。
その影響はさらに日本政府の捕鯨政策に対するマスメデイア一般による「官報ジャーナリズム」的な報道姿勢によって政府・水産庁の主張がむしろ権威付けられ、広く浸透されるに至ったように思われます。
問題とされる報道姿勢とは、客観的な「調査報道」で政府の主張や広報・宣伝キャンペーンを”不都合な真実”の発掘を含め、多面的・総合的に検証し、政策提言を行うことよりも、「記者クラブ」での水産庁や外務省当局者による捕鯨政策の説明や提供される資料に大きく依存した報道を意味します。
捕鯨問題―日本国家・民族の威信がかかる重要な問題と捉える―首相官邸側への配慮や省庁の組織防衛への思惑もあり「記者クラブ」で提供される情報自体、認識誘導、争点操作的とならざるを得ません。
広大な海洋を回遊するクジラをめぐる世論調査の設問はマクロ的で不可逆的な―脱捕鯨と他方で生かして互恵的に利用せんとする―世界の大勢や時代潮流を考慮に入れつつ構築する必要があるように思われます。
また日本の20世紀初め以降に形成され、戦後の20年間に大発展を遂げた南極海での大規模商業捕鯨業が内外の激変の波を受けて1960年代末から急速に衰退するに至った厳しい現実を織り込んで設問を再構成することも求められるのではないでしょうか。
というのは下記の設問が主張する持続可能な商業捕鯨と言ってもそれを可能とさせる国際社会と国内での客観的条件が乏しく将来展望が描けないからです。
クジラ=捕殺しての利用にこだわらず、クジラを生かして互恵的に利用する選択肢もあり、そうした取り組みは海外のみならず日本国内にも既に見られることを踏まえて設問を作成したとしたら、結果は大きく変わった可能性があるように思われます。
特に注目されるのは、Q13の設問内容とその結果なるもののデータの提示です。
Q13はどのような海域、規模、方式での商業捕鯨の再開と明記していません。
ですがQ12では沿岸での小規模商業捕鯨の当否について意見を求めていますし、Q13は、”資源が豊富なミンククジラ等を対象に決められた数だけ各国が捕鯨を行うことをどう思いますか”と問いかけていることから判断すると、遠洋、特に南極海を主舞台とする比較的大規模な”持続可能な商業捕鯨”の当否を求めていたように思われます。
世論調査の結果としてQ12では賛成が41.6% ,どちらかというと賛成が30.3%で計71.9%という高い数値が提示されます。またQ13では賛成が45.7%,どちらかというと賛成が29.7%でさらに高い75.4%が賛成の旨が示されます。
調査票 捕鯨問題に関する世論調査 https://survey.gov-online.go.jp › h13-hogei
Q12 〔回答票6〕あなたはクジラの資源に悪影響が及ばないよう科学的根拠に基づいて管理されていれば,社会的,文化的,歴史的な意義を有する日本の沿岸捕鯨は認められるべきとの考えについてどう思いますか。
(41.6) (ア) 賛成(認められるべき)
(30.3) (イ) どちらかというと賛成
( 6.9) (ウ) どちらかというと反対
( 3.5) (エ) 反対(認めるべきではない)
(10.6) どちらともいえない
( 7.1) わからないQ13 〔回答票7〕クジラの資源に悪影響が及ばないよう,科学的根拠に基づいて管理されれば,あなたは資源の豊富なミンク鯨等を対象に,決められた数だけ各国が捕鯨を行うことをどのように思いますか。この中から1つだけお答えください。
(45.7) (ア) 賛成
(29.7) (イ) どちらかというと賛成
( 6.6) (ウ) どちらかというと反対
( 3.3) (エ) 反対
( 8.6) どちらともいえない
( 6.0) わからない
(こちらもあわせてお読みください)
日本の国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退と商業捕鯨の再開に至る政治外交的考察
―「自由民主党捕鯨議員連盟」の1985年5月の結成以来の活動に焦点を置いて―
(森川 2019『JWCS通信』No.87)https://www.jwcs.org/data/1907_morikawa.pdf
日本の国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退と商業捕鯨の再開に至る政治外交的考察
―安倍晋三と自民党捕鯨政策の”捕鯨議連化”―
(森川 2020『JWCS通信』No.89)https://www.jwcs.org/data/2003_morikawa.pdf
日本の国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退と商業捕鯨の再開に至る政治外交的考察
―非妥協的・対決主義的な捕鯨再開政策とその逆火的結末―
(森川 2020『JWCS通信』No.90)https://www.jwcs.org/data/2007_morikawa.pdf
日本の国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退と商業捕鯨の再開に至る政治外交的考察
―途上国世界から捕鯨容認国をリクルートする日本政府の多数派工作の目標・背景・方法・成果と苦き結末―
(森川 2021『JWCS通信』No.92)https://www.jwcs.org/data/2103_morikawa.pdf
この30年、絶滅危惧種に対する商業取引の脅威は低減できたのか? 坂元雅行
(質問)
ペットの国際商取引はワシントン条約で規制されていますが、国内に持ち込まれた後に販売や販売目的の所有等を規制する国内の法的処置はあるのでしょうか?また、ある場合、それを担当しているのはどの機関になるのでしょうか?
(回答)
「国内に持ち込まれた後に販売や販売目的の所有等を規制する国内の法的処置」をする法律が、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)です。附属書I掲載種については、ワシントン条約に適合して(学術研究目的など)輸入されたものの国内取引(譲渡し・譲受け:所有権移転、引渡し・引取り:占有のみの移転、販売目的の陳列・広告)が規制されます。具体的には、事前に登録を受けない限り取引禁止です。附属書II、III掲載種については、基本的に種の保存法は適用されません。
一方、違法に持ち込まれて税関で止められた条約対象種の取り扱いについては、その処置を決める法律があるわけではありません。問題はペットにされる生きた個体を、輸入者が所有権放棄した場合です。経産省が日本動物園水族館協会との間の契約に基づいて、その加盟園の中から引き取ってくれるところを探して、寄託しています(所有権は国ということになる。経産省が補助金で餌代等を負担)
野生生物世界、いつまでにどのようになっていればよいか 岩田好宏
(質問)
野生生物保全の理想論ということで挙げていただいていた4つの項目について、非常にわかりやすく、私の中で漠然と思っていた野生生物保全が改めて再認識できたように思えました。
3つ目の「現在放置されている、今後後放置され得る農地、林野など人間世界をその中の非生物的物質を除去してそのまま放置し、野生世界に戻す」ということで発生するであろう課題についてご意見を頂きたく存じます。
耕作放棄地をそのままにした場合、野生世界に戻る遷移の過程で人間世界においては不快と人間にとっては言われる生物が大量発生してしまう課題があるかと思います。耕作放棄地でのカメムシの大量発生などによって、稲作といった農作物の生産に悪影響を及ぼしている事例もあり、耕作放棄地や休耕田の草刈りなどの手入れは農村においては必要です。
しかしながら、ある生物の増加が別のある生物の増加に繋がり、長期的な視点でいけば生態系の調和が保たれることで生物多様性に寄与し、野生生物の保全につながるという認識でもあります。
「野生世界」と「人間世界」、「環境」と「経済」のどっちを優先するかというジレンマと言ったら極論かもしれませんが、これは都市部でビオトープを創造する場合でも言える課題だと思います。
あくまでも理想論だということを承知の上で大変恐縮です。否定的な意見ということではなく、どのようにこの課題を考えればよいか、ご参考にさせていただければ幸甚です。
(回答)
ご感想とご質問、ご指摘、ありがとうございます。具体的なことをあまり考えたことのない私にとって大変貴重なことです。
基本的なこととして、農作生活を始めるようになってから人間の理が生物世界の理と相反するようになりましたから、必ずこうした野生世界をあらたにうみ出そうとしますと、そのことが人間の生活になんらかの悪影響を及ぼすさまざまな問題が起こるということは予測していました。そしてこの二つのことをめぐる矛盾は、絶対に解決できない「絶対矛盾」ですから、その時々の状況の中で最善の道を探して「折り合い」をつけるほかないと思っています。したがって害虫、害菌、害植物の大発生を放置すべきであるとは考えておりません。そしてそれは非常に難しいことです。その上で基本的なことを述べますと、次のように考えています。
1.どのように折り合いをつけるか
地域の野生保護が、地域の自然、人々のくらしにとって、日本全体の自然保護にとって、地球全体の自然保護にとってどのような意味をもっているかを明確にすることです。たとえば、日本列島の現在をみますと、野生世界に近いところは、面積でいいますと、20%未満になりました。またそれらのほとんどは、人間が踏む込むことのできないような、日本列島全体の自然からみますと非常に特殊なものです。そして人が立ち入ることができる、ごく普通のところの自然はほとんど人間世界となっています。ですから現在人々が住んでいるところに、野生世界を復活させるということは急務のことです。その場所として里山林放棄地、あるいは放置田畑、放置住宅地、放置工業地、放置観光地が考えられます。田畑については、食料自給率の低下などとの関係、あるいは農業による所得がその他の産業における就業による所得とくらべて著しく低いなどの、日本独特の社会的問題と関係が深いと思っていますから、簡単には放置したほうが良いとは思ってはいません。
無責任な言い方になるかもしれませんが、我慢できる程度まで放置してほしいというほかありません。一方我慢できなければ、納得がゆくところまで害を除くほかありません。どれだけならば我慢できるか、どれくらいになったら我慢できないかを考えることが人間の知恵の問題だと思います。そして様々なかたちによる対話の中で、地域の人たちの納得づくで決めるほかありません。この場合の対話とは、「相手を批判しても否定をしない」ということです。またみんなが納得できたからといって、それが最善の策とは必ずしもいえません。ですから、みなさんが納得した方法であれば、とりあえず実行して結果を見、自分たちが考えたどおりにならなかった場合にはもう一度対話して対策を考えなおすということをする必要があります。これが「人間の生き方としての自然保護」です。
ただし害虫などの大発生は、一時的なことであると思います。低層草原までは問題があるが、ススキ草原になれば問題が小さくなるということも聞きますが、真偽のほどはわかりません。
ご満足いただけるような答えでなくて申し訳ありませんが、どうぞお許しください。
2.農作以前の人間世界の形成
ここで時間の関係で言い残したことがありますので、それについて述べます。これはまた、シンポジウム終了後にご指摘をいただいたことです。それは、農作を始める前に過渡期があったことです。
野生世界の中での採集→(過渡期)→農作における採集
何をもって農作とみるか。通常の農作は、「種まき」、「除草」、「施肥」の三つのはたらきかけがあるものをいいますが、焼畑農作がありますから、種まきと除草の二つをするかどうかが区別する条件となります。しかし歴史的にみますと、その前の種まきのない時代があったと考えられますし、除草がなかった時代もあったにちがいありません。火入れをして森林を焼き払い、そのままにしますと、草木が芽生えてきます。それらのほとんどは、毒性のものを除きますと、食用として利用できたと思われます。それは、森林内とはまったくちがっていたと考えます。
これは、想像するところ、自然発火による山火事がおこり、その後の状態から思いついたのではないでしょうか。これはまちがいなく「人間世界」です。そして有用となる植物が少なくなり、あるいは森林になったりした時放置し、別の場所の森林に、あるいはその場所が森林になった時に火入れをして草原にするということをくりかえしていた時代です。それは一つの時代であり、その当時の人たちの独特の生き方であったわけですから、農作のための準備段階などという考え方は、してはならないと思います。ただし農作の起原について、野生世界の中での狩猟採集生活からの変化を考えた場合に、このような生物世界とのかかわりの時代があったことはまちがいありませんから、「過渡期」ということができます。次のような変化過程があったと思います。
総合討論 パネラー 並木美砂子
●過去に学ぶこと
1.保全とは、そこの暮らしの文化的価値について、その地域の人々自身が気づき誇りを持つことがベースになるべきだ、という点
主には、アフリカでの保全活動のご報告をいただいた山極先生のお話からでしたが、自らの居住する地域の自然・文化の特徴に誇りをもてるためには、外から指摘されて初めて気づくということもあると思います。「気づく」「誇り」は、保全の活動のベースになるものと思いますが、押しつけではなく「そうなんだ。」と自信を持てるためには、実際に保全にかかわる(外部も含め)人々からの支援が、金銭的な意味だけではなく、その地域の暮らし自体に含まれる価値構築に寄与する、ということが重要に思います。
2.毎日の生活を成り立たせている食材や消費物が、誰かの犠牲の上にもたらされている可能性についていっそう、センシティブになるべきだ、という点
どなたの発表ということではないのですが、SDGsで言いますと、「使う責任」への意識がいっそう重要になるだろうということです。犠牲ということばはちょっと的外れのように思って反省していますが、「知らないところで誰かの苦しみや差別をいっそう助長しているのかもしれない」と気をつけてみることも大切だろう、という意味です。家畜や実験動物という「たしかに犠牲になっている」というイメージがわくものだけではなく、消費財はすべて「生産から流通、消費のための準備、実際の消費」まで自然の恩恵にあずかりかつ負担をかけている、ということになります。そのひとつひとつを時には丁寧に調べて、その影にだれかの生産活動や自然からの収奪があることを知った上で、消費財を丁寧に扱うとか、誰かの貧困を助長しているのかもしれない、というような想像力を養うことは、子どもだけでなくすべての人々に必要な素養のように思います。
●これからすべきこと
子ども達にどういう未来づくりに参加してもらうか、その具体的イメージをもつこと
未来つまり次世代が主役になるための、現役世代の役割を意識し、できればさまざまな場面で「意見」を出してもらいながら、実際に「参加」してもらえるようなステージづくりは重要に思います。たとえば、地球温暖化を食い止めるための活動のアイディアを出してもらう、そこにつながる「エネルギー消費を少しでも少なくする」であれば、そのために一緒にできることや、むしろ大人にこうして欲しいという意見を出してもらう。そして、それが実現するためには何を知り、何をすべきかなど、そこでの困難な状況の理由は何なのか、結論に導くと言うよりもさまざまな意見を率直にだしてもらうための場づくりと、実践への見通しを共有することの大事さを申し上げました。そのためには、個々のアイディア(思いつきのようなものでも)にどういう意味があるのかを丁寧に読み取る現役世代の力量が問われると思います。
総合討論
(質問1)
それぞれの専門分野からのご指摘はいずれも本質的で、普遍性があり、納得できる内容でした。野生生物の商品化(コモディティ化)の責任の一端は、メディアの影響力と共に、「持続可能な利用」を拡大解釈する一方で、そのブレーキともなり得る動物福祉を政策原理として受容してこなかった点にもあるように思います。野生生物保全(conservation)は今後、益々複合的で多面的な検討を要する学域となる一方で、市民が自ら問題の構造を理解し、適切な行動を選択するための基礎的科学として必要となるとすれば、今後、どのようなプラットフォームを築く必要があるでしょうか?(前半はコメント、後半は質問です)
(回答)
ご質問ありがとうございます。当会は設立趣旨書に「野生生物の真の保全を実現させるような実践の基礎となる理論を打ち立て、内外の環境関係諸団体に課題や具体的指針などを提起し、政策提言などをすることが、この研究会の目的である」と掲げています。市民が問題を理解し適切な行動をとるために、まずさまざまな側面から野生生物保全に関わる人々が、ともに学びそれぞれの実践に活かす、そのプラットフォームとなる研究会等を運営するのが当会の役割と考えます。
研究者、教育関係者、NGO、公務員、動物園スタッフ、市民活動のボランティア、企業のCSR担当、観光ガイドなど、さまざまな立場の人が学び合い、それぞれの言葉で野生生物保全を社会に浸透させていく、そのような既存の垣根を超えた学びの場が必要なのではないでしょうか。
補足ですが当会では国内向けに、保全活動でともすると見逃しがちだったり不適切な価値意識の元で行われてきたりした事項のいくつかについて、警鐘を鳴らすブックレット『生きもの目線で活動チェック』を発行して保全の場で生かしてもらうようにしてきました。今後はそのフォローとして、自然から出発して社会構造の問題に意識をつなげることも視野に入れていく必要がありそうです。
(質問2)
SDGsが中学校の教科書にも載るとのことで、気になることが一つあります。ESDでもそうですが、sustainable development日本語訳を政府は「持続可能な開発」としています。したがってESDは「持続可能な開発のための教育」、SDGsは「持続可能な開発目標」これは、適切な訳ではないとおもいますが、学会として見解をお聞かせいただければとおもいます。
(回答)
ご質問ありがとうございます。『野生生物保全事典』(緑風出版2008年)の「第6章 野生生物保全とSustainable Development(SD)概念」に、当会の理論研究会の意見を表明しています。
「野生生物保全との関係で言えば、SDは野生生物保全のためのSDであるという側面をもったものでなければならない。それは野生生物とその自然環境とを一体とした野生生物界を持続させるための発展である。Developmentの別の訳語である「開発」の実態が、自然の人工化であるならば、開発と野生生物保全とは相容れないものである。むしろdevelopmentを「人間、社会の発展」と考えれば、developmentは野生生物保全をその重要な一画に組み入れなければならない。」p74
当会理事の一人は、発展という訳語を併記して使っています。もともとDevelopmentは進歩のような意味合いで、教育分野でも能力を引き出す意味で使われています。Developmentを開発と訳したのは日本の特徴だったという気がします。日本では政治経済や社会の場で、新しい経済的価値を生み出す意味で開発が使われ、これに60年代以降の自然を壊す国土開発・地域開発が具体的事例として重なり、言葉としての不整合が続いてきたと感じています。60年代以前は、教科書では田畑を広げることは開拓でしたが、その後田畑開発が使われ出した記憶があります。
SDGsを「持続可能な開発目標」と訳した時、あいかわらず経済的利潤を生みだすことというニュアンスが含まれていることは否定できないように感じます。保全セクターも公共や企業も、相手を同調させるために意図的に、この使い方をしているように思えてなりません。
(「持続可能な開発」に関連して、アンケートの「当会に共感できない点」として次のご意見をいただきました)
SDGsの重要な要素である持続可能な「開発」の部分に関して、あまり前向きな部分が見えないところ。なお重要なのは「開発」→「経済成長」することで、成長こそが自然環境保全と貧困層等社会的弱者の救済を両立できる。
(回答)
<「開発」→「経済成長」>:これはよく言われてきた「調和言説」ですが、かつて公害が激化した時代(1970年代)に反公害運動で公害基本法が改訂(調和言説の表現の改訂)されました。
環境重視の運動や制度の充実化がなければ成り立たないので慎重に扱うべき言説です。
詳しくは、以下にて、関連内容が議論されていますので参考にして下さい。
古沢広祐
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(公正で持続可能な社会づくりのこれからを考える連続企画)
<アーカイブ:録画・内容記録の公開中!!>
—————————————————–
公正で持続可能な社会に向けて
~SDGsと脱成長コミュニズムから資本主義を問う~
・講演1:斎藤幸平(大阪市立大学大学院経済学研究科准教授)
「”脱成長”の過去・現在・未来」
・講演2:古沢広祐(元國學院大學経済学部教授)
「ポスト資本主義・システムチェンジは可能か?」
・ディスカッション
—————————————————–
https://www.actbeyondtrust.org/abt10th-report04/
環境問題ではありませんが、私(当会理事の一人)は次のような体験を持っています。
大学院生のとき、自宅に訪ねて来た政権与党の関係者に「大学院生は就職難で困っている」と話したところ、しばらくして「○○(議員)先生のお陰で(国立の)○○大学の教官の口を確保した」という返事を持って来ました。教員公募の実態も聞いていましたので眉唾だと思いましたが、こうした個別に恩恵を与えて救済しつつ、社会の仕組みには手を付けないのが日本の権力のやり方だと知らされました。環境問題の現場でも、同様のことは在り得るので、保護・保全が図られた事例の中には、経済的豊かさのおかげで達成できたと考えることができるものがあってもおかしくはありません。ただ、その場合も、経済成長なり財源確保なりの発生過程で、別の環境負荷増が起こっている可能性は考えておく必要があると思います。
以上
ご質問、ご意見をいただいた皆様に感謝申し上げます。議論をさらに深めることができました。今後ともよろしくお願いいたします。